生きる
2005年 11月 13日
今まで病院の中の出来事だったものが社会に出て行くために、色々なシステムや法律の想定外での問題が起こってはそれを一つ一つ解決していく生活をしているのです。
思ったのは、「生きる」ということ。そして「育てる」ということ。
健康な子供を持っていても分かって大変さをもらえないもどかしさを持つことがあるのだろうけど、子供が治る見込みのない病気を持っているとき、普通に暮らすために本当に沢山のものを乗り越える強さを家族は求められていくことを改めて知りました。
生きるという当たり前なことは実はとてもすごいことなのです。
また、健康なママ達のおっぱいライフ支援をしていても、時にママ達の気持ちを上手く汲むことが出来ないで寂しい思いをさせることがあるのだけどそれは仕方ないことなのだ。とも思いました。
ただ、仕方ないから放っておこうと言うのでなくて、99人の人には快適でも1人の人には不快な思いをさせることがあったり、自分の疲労感からくる「だるいなあ、な、オーラ」が伝わったりすることがあったり、と言うのはどうしても起こることなのだと。だから、今言おうとしていることが相手に伝わっているのか、自分も相手の意図を汲み取っているのかを常にやり取りをする中で「絆」と言うものは育つものなのだと感じたのです。(シンポジウムの内容とは少しずれているのかもしれませんが)そして、そうやって築いた絆が「癒し」や「励まし」のもとになるのだろうと。
生きること、は伝えること、そして受け取ることでもあるかもしれません。
それは赤ちゃんが元気だろうと病気と一緒に暮らしていようと変わらない事実だと思わされました。
全てのおやこが、心穏やかに笑顔でいられる時間が少しでも長く続きますように。