昨日は満月
2005年 07月 23日
祈り、自然信仰。そういうものを頼りに命がけでお産を乗り越えていた時代にはおそらく気付く余裕がなかったであろう事実の一つは、赤ちゃんって「生まれたときから一人前の人間」だと言うことかもしれません。
私はソフロロジー式分娩法と言うものと出会ってから、この「赤ちゃんという一人の人」といかに接するかを丁寧に準備しておくかの大切さを感じるチャンスが増えました。
お産というものを陣痛に苦しむ一人のお母さんが陣痛を乗り切る物と思って見て、少しでも痛くないようにしてあげようと言う「思いやり」は、ラマーズ法を生み無痛分娩という技術の確立に繋がったことでしょう。「痛くないから頑張ろう」と、ママに大きな励ましも与えたことでしょう。
また、陣痛というものをソフロロジー式分娩法と言う産前教育では「赤ちゃんに出会うために絶対必要なパワー」だから、陣痛が有ってこそ赤ちゃんに出会える、と言う視点で生むほうも頑張るし介助するほうも「赤ちゃんとの出会い」を意識した介助をするという捉え方をします。そこでは「陣痛は痛いけどおやこで助け合って乗り切るもの。乗り切れるもの」としていき、大切なのは、「お産というイベントで赤ちゃんの居場所はどこ?」と言うことを常に念頭において置くことという発想の転換だったかもしれないです。
お産は人生の中で、そう滅多にはない位に大変な作業だということに異論を挟む方は少ないでしょう。
その時に、誰よりもママが自分の赤ちゃんを守るために頑張っている姿というものはとても美しいもので有るように感じます。
分娩という命がけの行為の中で子供を守ろうとするママ達の神々しい姿がある。一人ひとりのママ達の中に、そういう神々しさが有ることをどうやってさりげなく気付かせることが出来るか、というのは一つの難しい課題でもあります。
赤ちゃんは、言葉を喋りはじめてから自由に自分の気持ちを表現できるようになるのだけど、それ以前からなんとか「自分の思いをそばにいる人に伝えたい」と言う心をどこかに持っている摩訶不思議な存在。その不思議さは、きっといのちの不思議さなのでしょうね。









































