100万人のキャンドルナイト
2007年 06月 22日
参加ルールは簡単。夕方8時から10時までの電灯を消して、いにしえの人々のように闇とともに過ごしませんか、というイベント。真っ暗はあんまりだと思う方は火事に気をつけてキャンドルを灯し、真っ暗の中の蛍を見に行く人たちは大切な人とそっと寄り添って普段とは違う時間を過ごしましょうというコンセプトが、ウエブサイトが更新しなくなった今も歩き続けています。
キャンドルスケイプは、ぼんやり見ていると心地良いのですが、実は皮肉なことにそのサイトを見るのにも電気が必要だと言う事実。だから、毎年、その時間にはHPもお休みになっています。
太宰治「右大臣実朝」のなかの明るさは滅びの姿だろうか。暗いうちは人も街も滅びぬ。ということば(この言葉をある番組の最終回(笑)で見たことがある人は、私と同世代の人たちですね(^。^))は、今のこの地球温暖化というとんでもない化け物に出会って戸惑っている私たちにジンと来るメッセージをたくさん含んでいます。明るさは便利さに繋がります。今一度考えてみても便利さが一番大切なものなのでしょうか。
おっぱいライフを日々過ごしているママやパパたちは、手間ひまをかけてたどり着くもので、便利さ以上にこころに残る「大切なもの」があることを色々感じながら過ごしているかと思います。(それが、もしかして、延々と続く夜泣きのコーラスだったとしても)
私の母のこども時代には、まだ、たぬきは人をだましていたし、人魂に迷わされて夜道を迷子になった人の話は普通にあったそうです。闇に潜むモノへの畏れは、八百万の神々への信仰にもつながり、また、触れてはいけないものや壊してはいけないものへの尊敬の気持ちは社会の仕組みの中に生きていました。
ふーん、興味ないわ。と、キャンドルナイトにしない人も、無限に有ると信じていた水や空気や電気を大切に使いながらお洒落に楽しく生きることが出来ないかと、これを機会にちょっと思いを馳せてみたなら、それは大きな力を産むのではないでしょうか。
未来の子供たちに、四季のある日本の景色を感じて欲しい。その為に、今出来ることがないのか、(出来ないことも有るけれどもあきらめずに)ほんの少しでも心がけていきたいものです。
実はおっぱいを1回あげることが、とても地球温暖化対策に大きな貢献をしているのは今までにも何度も書いてきました。それはミルク缶のゴミがでない。哺乳瓶を洗う水が要らない。ミルクを作るための材料を入れた容器のゴミが出ない。ミルクを運ぶ為の自動車の排気ガスが出ないというところで、知らないうちに出来ている貢献です。
家族や親しい人までからも、「もうそろそろ止めたら?」と言われ、「赤ちゃんを我が儘にしているだけよ」と睨まれながらも、赤ちゃんが要らない、と言うまで母乳をあげたい!と決めてがんばっているママたちは、実はこんな所でも大活躍しているのです。気付かずに出来てしまっている地球温暖化対策だなんて素晴らしいですよね。