抱きしめると言うこと
2007年 07月 28日
今日、雑誌マリクレールで日本人の女優さん(鶴田真由さん、、、だったかな?テレビの世界に詳しくなくてごめんなさい)がAmmaに出会った体験をレポートしていました。
ただ、抱きしめる、それもセクシャルなものでなくただただ抱きしめると言う活動をしてるのだそうです。辛い時、寂しい時に肩を抱かれたり抱きしめられたら気持ちいい、だから抱きしめて相手が幸せを感じること自体に救われるのだと。
母乳で育てましょう。と言うことが、今、「メタボリックシンドローム予防」「感染症の罹患率の低下」「IQの向上」などと、数字でわかることから、力強く応援され始めてきた時代です。アメリカ政府やユニセフは、そう言う「医療費節約」の意味もあって研究や制度の確立の為の活動を重ねてきています。
もちろんそれは、哺乳類である人間が他の哺乳類の動物から搾った乳汁から作ったミルクで赤ちゃんを育てるのが当たり前で科学的だという、正しいようでどこか違和感の有る「当たり前」が信じられている現代の当たり前を、同じ種の母親の母乳を飲んで育つという「当たり前な当たり前」に変えるための、大きなパワーを与えてくれるチャンスとなっていることは否定出来ません。イノチェンティ宣言も国際規準も、そう言う面での目的も成立を後押ししている部分は有ると思います。
でも、ちょっと待ってください。
こうやってAmmaと言う他人に抱きしめられて癒される多くの人がいるという事実をどう受け止めたら良いのでしょう。家族、特に母親に抱きしめられることと、赤の他人に抱きしめられることとを比べて、「抱擁のプロ」とでも呼べる人の抱擁が、本当に家族の抱擁よりより安心出来るものなのでしょうか。
我が子を抱きしめられない母親。泣いている我が子をあやすことを思いつかないで、ただ見つめている父親は、決して少なくないと言われています。それにも関わらず、抱きしめられることは、その時その時の自分の気持ちに勇気を与え、抱きしめた人にも幸せを与えるものなのだ、とAmmaは言うのです。
スポック博士の育児書などに見られる「子供の自立」への執着は、本当に世の中をよくする子供を育てるのに役に立ったのでしょうか。
5歳までは神のうち、と、経済的に余裕のある時代には子供を大切に大切に扱っていたこの国では、赤ちゃんが泣いていたら抱いてあやすことはちょっと前までは当たり前なことでしたし、今も「添い寝」を特別視せず当たり前に受け取ることの出来る文化は長く続いてきたものでした。それが、家族の役割から、わざわざ「会う」為に出かけていく人から貰うものに変わってしまってもいいのでしょうか。
そういう意味からみた母乳育児は、赤ちゃんを抱きしめないと出来ない行動であると言うこと自体に、とても大きな役割を私は感じるのです。
もう7−8年前に、ユニセフの英語のサイトで「赤ちゃんは泣くたびにあやしてもらい抱きしめてもらう親の元に居ることで、自分がどれほど大切な存在なのかを感じる」と言うようなことをすでに書いていました。そして、自分が大切な人間であればこそできる「他人への愛のこもった行動」は、世の中をよくするためにも役に立つのではないかと思うのです。
いえ、そんな遠くの話は忙しい育児の日々には耳に入らないかもしれないですね。ただ抱きしめることで感じる暖かさや赤ちゃんの匂いにママたちが癒されるチャンスを、温度計できちんと温度を測って作るミルクよりも、おっぱいライフは与えることが多いのではないでしょうか。
栄養が良い、免疫にいい影響を与える、、、だけでなくて、ただただ和むためのおっぱいライフの役割は、思っているよりも重要な物なのかもしれませんか(^.^)
混合栄養でも、数字で表れる利益は赤ちゃんに与えられるのですが、ミルクを上手に足しておっぱいの分泌を保つことは実は簡単では有りません。ミルクが悪いから、、、でなくてミルクは両刃の剣でおっぱいを出し続けるための障害となりうることをご存知ない方が本当に多いことから、不必要なミルクの使用がないか、を判断出来るだけの力をご両親さまは、持っておいて損はないのではないか、とも思う訳です。
赤ちゃんを抱きしめる時、実は、ママやパパも赤ちゃんに抱きしめられているんです。そのことに気付くと育児の生活はまた、新たな魅力を持つのではないでしょうか。









































